内閣委員会
(2003年5月28日)



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「少子化社会対策基本法案」について



○佐々木委員長
 質疑を続行いたします。
水島広子君。

○水島委員
 民主党の水島広子でございます。
 本日は、内閣委員会に出張をいたしまして質問をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
 私自身も今五歳と一歳の子供を育てている立場でございますし、また、かねてから子供たちの心の問題などを見てまいりまして、日本というのは本当に子供たちにとって冷たい国であるし、また子育てをする者にとって冷たい国であるということを痛感してきた者でございますので、こうして国会で子育てというものに関して注目をしていただけるということは、率直に言ってありがたいことであると思います。
 ところが、そんな中、出されてまいりました今回のこの法案を見ますと、タイトルが少子化社会対策基本法案となっております。
この法案の名称については既にこの委員会の中でも議論があったと思うわけですけれども、やはり少子化社会対策というのであれば、次世代育成支援のほかにも、例えば外国人労働者の問題であるとか年金制度のあり方であるとか、そういうことも含めて幅広く考えて初めて少子化社会対策なんだと思いますけれども、この法案を何度読みましても、主に規定していることというのは次世代育成支援そのものであって、私はむしろ、この法案のタイトルは、少子化社会対策基本法案ではなく、次世代育成基本法案であるべきではないかというふうにも思うんですけれども、まず、その点についてはいかがでございましょうか。

○中山(太)議員
 委員御指摘のように、子供たちの問題が社会で取り上げられる率が非常に少なかった。
しかし、現在はそういう状況ではございません。
子供たちが減ってきたということが社会共通の概念になっていると思います。
 そういった中で、子供を欲しいと思っても子供が産めない御婦人たちもたくさんいらっしゃいます。
それは、仕事の上、また家庭生活の上であります。
そういう問題をどういうふうに解決していくのか。
あくまでも女性の御自身のお考えにもよりますけれども、子供が欲しいとお望みの御婦人がどうしても産めないというような問題をいかに解決して次の世代をつくっていくか、こういうふうに考えてこの法律案をつくっているところでございます。

○水島委員
 では、済みません、法案のタイトルを次世代育成支援基本法案にでもすべきではないかという点についてはいかがでございましょうか。

○中山(太)議員
 少子化対策、即、次世代育成法案というふうに御理解いただければ大変ありがたいと思っております。

○水島委員
 何か大先生に申し上げるのも大変失礼でございますが、そうではなくて、例えば外国人労働者やそういうものも含めて社会全体としての対策を考えなければいけないのではないかと最初に問題提起をさせていただいたわけでございますので、本当にこの法案、このままでいくのであれば、タイトルは次世代育成支援基本法案、そのタイトルにしても何ら問題のない内容だと思いますけれども、この法案の名称変更も含めましてもう少し御議論いただければと思いますので、ぜひその点はよろしくお願い申し上げます。
 何か特に御異議はございますでしょうか。
大丈夫ですか。
では、次に進みます。
済みません。
では、ぜひ御検討をお願い申し上げます。
 さて、この法案の中には、二カ所だったと思いますが、「家庭や子育てに夢を持ち、」という表現が出てまいります。
これは、法律上に置かれている言葉としては極めて特殊な、独特なものだと私は思いますけれども、まず、この言葉の意味はどういうふうになっているんでしょうか。

○荒井(広)議員
 議連ができまして足かけ六年、法案が第一番目に出ましたのが十一年の十二月で、衆議院解散とともに廃案になりまして、十三年の六月に提出をし直した。
その間の状況なども踏まえていろいろ議論しておりますが、そうした議論の中で、法律用語では初めてというふうに聞いておりますけれども、「家庭や子育てに夢を持ち、」という「夢」という言葉が入りました。
 これにつきましては、いろいろな先生方の御意見がございましたけれども、特に私たちの日本においては、結婚、出産、子育てに伴う負担感が非常に大きく意識されておりまして、さまざまな調査におきましても、実際上、これは厚生省の十三年度の調査事業で十四年に報告されておりますけれども、実際に子供のいない世帯と子供さんがいる世帯、ここの身体的、精神的、経済的負担感などを見ましても、実際にいない、持っていらっしゃらない方の方が非常に重圧感を覚えていらっしゃる。
こういうところにも見られますように、さまざまな負担意識を大きく持っておられるようです。
 また、この法案をつくるに際しましては、議員立法でございますが、東京、大阪と地方公聴会までして大勢の皆さんの御意見を承ったところですが、そういったことが、最大の要因の一つである晩婚化をもたらしたり、また結婚して持つ子供さんの数が理想像より減っているというようなことなどの、ちゅうちょの原因になっていると思いますので、やはり若い男性や女性が結婚や子育てをして、そうした重圧感から解放された、正しいと言うとおかしいんですが、いや喜びだ、いや楽しいなというふうに見出すことができるような社会全般の環境、先ほどの少子化社会というところにも当たるんですが、そういう社会全般の環境を整備することが、結果的には、選択的自由でございますけれども、御結婚されたり子供さんを産んでいただけるという現状につながっていくだろうというようなことでございまして、家庭や子育てに夢を持つことができるためには、若い世代も含めまして住みやすい環境を整備する、そして子育て世代の先ほどの不安を取り除く、そして安心して子供を生み育てることができる広い意味での社会環境やら子育て支援。
そしてもう一つは、この法案は子育ちという概念も非常に入れています。
子供自身の立場でどう考えるか、こういったことを考えまして、先ほどの夢という言葉を使わせていただきました。
 同時に、議論になりました過程では、男女共同参画で、しかも多様な価値を持つそれぞれの個人、夫婦が、ともに子育てに責任を持っていくというところに前向きな雰囲気が生まれる、それは一人一人の夢ということに、喜びということにつながっていくのではないかということから、こういう言葉を使わせていただいているということでございます。

○水島委員
 本当にるる御説明いただきましてありがとうございます。
 一言だけ確認をさせていただきますと、つまりここで言いたいことは、今、実際に家庭や子育てに夢を持てない、絶望感しか持てない人たちというのは、例えば、現に子育てをしていてこんなに社会のサポートがないというふうに感じていたり、中には産むだけ損をしたというような方もいらっしゃるわけでございます。
また、子供の側から見て家庭に夢が持てないとすれば、それは自分が生育過程で虐待を受けたり、あるいは非常に機能不全な家庭で育ったりというような中で、とても将来自分が家庭を持とうという気持ちになれないお子さんもいらっしゃるわけでございます。
 そういった人たちに対して、とにかく家庭や子育てはすばらしいから夢を持ちなさいと押しつけることがこの法案の趣旨ではなく、子育て支援とか虐待の防止とか、そういったことを全部含めて最終的に夢が持てるような制度をつくりましょうということをおっしゃりたいということだけ、一言御確認いただけますでしょうか。

○荒井(広)議員
 全く同感でございます。

○水島委員
 ありがとうございます。
 この法案が仮に成立した場合に、全く諸般の事情からとても夢なんて持てないという方たちに、家庭や子育てはすばらしいんだ、家庭を持ちなさい、子供を持ちなさいと、それを強制するようなふうに運用されないように、これは立法者の皆様に本当にくれぐれも御注意をいただきたいと思っております。
 また、くれぐれも御注意いただきたいというもう一つの点なんですけれども、法案全体を何度も読みましたが、中に一つ決定的に欠けている配慮があるなと思いました。
それは、子供を産むことができない、あるいは子供を産まない人への配慮というものでございます。
 私も、かつて精神科医として、不妊に悩む方たちの精神的なサポートをしておりました。
本当に大変な苦しみの中にいらっしゃいます。
不妊治療をしたからといってすべての方が生まれるわけではございません。
また、子供をどうしても欲しいと思えない、どうしても子供をかわいいと思えない、あるいは、自分自身が虐待を受けていて、どうしてもまだ親になるという気持ちになれないのに、無理やりどうしても子供を産めと言われて産まされてしまって、その結果、やはり子供をかわいがれなくて虐待してしまうというような方の相談にも乗っておりました。
これは、子供を巻き込んでの大変な問題でございます。
 そういう方たちを見ていた立場からいたしますと、この法案が、産めやふやせや法案になってしまって、子供を持てない人あるいはどうしても持たない人、そういう人たちを今以上に追い詰めていくんじゃないかということが、本当に率直に言って心配でございます。
 もちろん、子供を持つ、持たないは自分自身の判断する権利があるとかそういうふうにおっしゃるわけでございますし、それは当然のことなんですけれども、自分が決める権利がある以前の段階で、全く現実的に持つことができないという方たち、希望としては持ちたいけれども持てない方たちを追い詰めてはいけないというような、そういった配慮をどこかしらに書き込んでいただくことはできませんでしょうか。

○中山(太)議員
 先生御指摘のように、子供を産めない人たちを追い詰めるというような考え方は一切持っておりません。
これははっきり申し上げておきたいと思います。

○水島委員
 今はっきりと言っていただきましたので、ぜひそれを条文上にはっきりと書いていただかないと、なかなか会長の思いというものは、これが今度印刷されてひとり歩きしていきますし、日本の各地隅々で運用されていくわけでございますので、ぜひそれは、だれがどう見てもそれが読めるという形に最終的に書いていただけますように、これは強く希望を申し上げます。
よろしくお願いいたします。
 本当に少子化の今、子供を取り巻く身近な大人の数というものが、昔の概念で言うと少ない。
親戚のおじさん、おばさんも少ない。
近所の大人ともそんなに密接な関係を持っているわけではない。
そういう中で、結局、親が自分の子供だけをかわいがっているのでは、とても子供にとって、育つ環境として、かかわる大人の数が少な過ぎると私は思っております。
ですから、他人の子供もかわいがろうとするだけの心の余裕をすべての人が持っていなければいけないと思いますので、くれぐれも人を追い詰めるような運用だけはされないように、自分がどうしても子供を持てなくても、またいろいろな形で次世代の育成の支援をするというのは、いろいろ献金をするとか、またいろいろなところで支援をするとか、いろいろな形でかかわれるわけでございますので、そういう本当に幅広い意味での次世代を育てようという気持ちを多くの方に持っていただくためには、いろいろな事情のある方たちを追い詰めるような制度はくれぐれもつくってはいけないですし、間違ってもそのように解釈され得るようなものはつくってはいけない。
 これは、人によっていろいろな読み取り方がございます。
ですから、はっきりとそういう言葉で、いろいろな、体の事情であるとか精神的な事情であるとか、また個人の判断によって、子供を持てない、持たない人たちに対しての十分な配慮をしなければいけないんだということを、この法律の運用上の注意として条文上にぜひ書き込んでいただけますように、強くお願いを申し上げたいと思います。
 さて、第二条に「少子化に対処するための施策は、父母その他の保護者が子育てについての第一義的責任を有するとの認識の下に、」というようなことが書いてございます。
これは、第一義的責任が父母その他の保護者にあるというのは当たり前のことでございますけれども、ただ、今の子育て現場において起こっている問題を見ますと、親に第一義的責任があるかないかが不明だから起こっているというよりは、そこに過度に行き過ぎてしまっているために起こっているんじゃないかと思われる問題がたくさんございます。
 例えば、少子化時代で周りに大人の数も少なく、ただでさえ子育てがしにくい中、親だけに過剰な負担がかかって、ちょっと子供が何かいたずらなんかすると、あそこの親は何なのかしらと言われることが怖くて、かえってストレスをため込んで、子供を虐待してしまったり、また子供に対しても過剰に厳しくしつけをしてしまったりとか。
子供なんて試行錯誤しながらいろいろ育ってきて、私もそうですし、皆様もそうだと思いますけれども、そういう、全く試行錯誤する自由も許されないほどに、ひどい、本当に虐待とほとんど区別のつかないしつけなるものを受けている子供もいるわけでございます。
 そんなふうに親だけに過剰な負担がかかって、親がその結果うつ病になって、うつ病の親が子供の生育に対して非常に悪い影響を与えるということは、これはもうデータとして得られていることでございますので、非常に親だけに過剰な負担がかかるということが一つの大きな問題だと思っております。
 二言目にはみんな、そうはいったって、子育ては親の責任なんだから、それがわかっていて産んだんでしょうということになれば、親はそれを抱え込まざるを得ないので、まず、親の責任というものを言うときには、そういった現実を知らなければいけないのではないか。
 また、もう一つは、虐待問題にかかわっておりますと、今度、青少年問題特別委員会で児童虐待防止法の見直しということを審議していくことになりますが、その中では、やはり必要な今回の改正のポイントとして、親権というものをもっと部分的にあるいは一時的に、柔軟に停止したりできるような仕組みをつくらなければ、子供を実際に虐待から守れないということが既に指摘をされておりますし、私もぜひそういう改正をしなければいけないと思っておりますけれども、そうやって現に虐待問題を見ておりますと、親として機能できていない親というのは現実に存在をしております。
 自分自身がちゃんと育ててもらえなかったからちゃんとした親になれない人もいますし、あるいは、もっといろいろな理由によって親として機能できない人もいますけれども、そういう親として機能できない親だけれども、第一義的責任を有するからといって子供をついついゆだねてしまうことによって、子供の発育に致命的なダメージを負わせることもありますし、命すら奪われるということもあるわけでございますので、今、親たちが置かれている環境、片方は、育てようという気持ちは強いんだけれども、過剰な負担がかかり過ぎてどうしても子育ての姿がゆがんでしまう。
もう一方では、親だからといって何でも権利を持っているように見えるために、子供の人権が侵害されている。
そういった親が置かれた現状というのを考えてみますと、そのような現状を認識した上でこの法案がつくられたのであれば結構だと思うのですけれども、そのあたりについては御認識の上でつくられましたでしょうか。

○荒井(広)議員
 結論から申しますと、そういう考えでつくられております。
 先生の御指摘のように、児童の権利に関する条約あるいは児童福祉法第二条、児童の権利に関する条約は十八条でございますけれども、例えば、それらの文言は「父母又は場合により法定保護者は、児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。
」また、児童福祉法の第二条では「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。
」というふうに書いて規定しております。
 そういうものと同一の今回は中身でございますが、第一義的に責任を有する父母その他の保護者の子育てに関する主体性をこの法案では尊重しつつ、少子化に対処するための施策を講ずるということを確認的に書いておりますが、最も御主張されたかった部分、そのとおりでございまして、子育て中の親の負担感、あるいは精神的、肉体的にも、先ほど申し上げましたように、共通の認識が先生とございます。
 また、児童虐待の問題も午前中ございましたけれども、法案には、生命をとうとぶ、こういったことの文言も入っておりまして、親にばかり過剰な負担が行くということのマイナス点もございますから、単に親を家庭に閉じ込めるということだけでなく、法律を読んでいただきますとそのとおりでございまして、社会全体で、国、事業者、国民の責務という形でも明確にしておりますけれども、そうした協力があってこそ初めて社会全体で子育てをサポートして、そしてさまざまな、個人にとっても、親にとっても負担感を軽減していくのではないか、そういったところに望ましい方向が見えていくんじゃないか、こういったことを考えているので、そのとおりでございます。

○水島委員
 ありがとうございました。
 また、同じくこの第二条の基本理念の中では、子供が心身ともに健やかに育つことができるよう配慮しなければならないというような、そんな文章もあるわけでございますけれども、これは簡単な確認なんですが、この心身ともに健やかに育つというようなこと、これは子どもの権利条約の精神を踏まえたものというふうに理解してよろしいでしょうか。

○肥田議員
 水島議員おっしゃるように、全くそのとおりでございまして、これは子どもの権利条約をしっかり踏まえたことだと思っております。
私は、この法案の文言が児童でなくて子供であるということに大変喜びを感じております。

○水島委員
 私も本当にそれは大変うれしいことだと思っております。
 子供を育てていくとき、健やかということの定義がかなり人によって違っていて、虐待をしている親でも、これは子供を健やかに健全に育てるためにやっているんだということも時々ありますので、これはあくまでも子どもの権利条約という共通のきちんと文章化されているものに立っているものなんだということは、ぜひ皆様、共通の認識として持っていただかないと、また変なふうに使われてしまいかねないと心配をしておりますので、今確認をさせていただきました。
 さて、次に内容の確認なんですけれども、第十一条を見ますと、第二項で「国及び地方公共団体は、保育において幼稚園の果たしている役割に配慮し、」というようなところがございます。
ここを読んで、ちょっと私は違和感を感じたんですけれども、こうやって「保育において幼稚園の果たしている役割に配慮し、」と書くのであれば、その後に、幼児教育において保育園の果たしている役割に配慮しというようなことも書かないと、何となくバランスがとれないような気がするんですけれども、その点は何か幼稚園の方だけに重きを置いたような趣旨があったんでしょうか。

○五島議員
 今、これまで水島議員のお話を聞いていまして、全くそのとおりとうなずいていたんですが、ここのところだけはえらく読み違いをしていただいているような気がいたします。
 御案内のように、この段落、すなわち第十一条は、「保育サービス等の充実」という部分の中に規定している内容でございまして、その第一項で保育所の果たしている役割については述べているところでございまして、したがって、第二項は、保育において幼稚園の役割にも配慮するように規定したものでございまして、幼児教育における保育所の役割を無視したものではございません。
むしろ、第一項において保育所の役割というものを強調した上で幼稚園の役割も取り上げたという内容でございます。

○水島委員
 恐らく、この「保育サービス等」の「等」の読み方の違いかなとちょっと思いましたけれども、私、実は、今こういう議論をしていて、不毛な議論だなと思いながら質問をさせていただいているわけでございますが、今やはり、子供たちのために、この少子化時代に最も必要とされている施策は、縦割り行政からの子供たちの解放ではないかと思っております。
幼稚園だ保育園だと言っているような大人側の都合ではなく、現に子供がどういう環境で育っているのかという、その子供の生活に注目しなければいけないと思います。
 実際に私、多くの方たちから子育てに関する相談なんかを受けておりますと、専業主婦の方でも子供を保育園に預けたいとおっしゃっている方に実は多くお会いをしております。
また、データを見ましても、専業主婦の方の方が育児不安を強く抱えているというデータも見せていただいたこともございます。
 また、その一方、私の子供たちは保育園に通っているわけでございますけれども、これはゼロ歳から通っておりますが、保育園ではコンピューターとかダンスとかお茶とか体操まで習っているようで、幼稚園と比べると教育的ではないというようなことは私はとても思えないわけでございます。
 むしろ本当に必要なのは、希望するすべての子供たちに家庭以外の居場所を提供するということではないかと思います。
今、兄弟の数も少ないですし、また近所の子供たちも少ない。
そして、いろいろと社会の安全が失われておりますから、子供たちが、私たちが子供だったときみたいにふらふらその辺で道草をして遊んでいられないような地域もある。
そういう中で、兄弟がいなくて一人っ子であっても、同じくらいの年ごろ、あるいはちょっと上、下の子供たちとともに育ち合える場というものは非常に重要でございまして、そのような家庭以外の居場所というものを提供できるように考えることが何よりも必要ではないかと思っておりまして、民主党ではそのような政策をかねてから提案させていただいているわけでございます。
 ですから、そろそろ児童福祉法の「保育に欠ける」という条項の撤廃も含めまして、抜本的な改革をすべきではないか。
もう幼稚園だ保育園だと言ってないで、その子の生活一日で見て、やはり小さい子だったら、一日じゅう大体同じ人と一緒にいられる環境の中で教育的な部分、保育的な部分というのがあってよいでしょう。
例えば、本当に五歳、六歳になれば、今実際そういう運用をされている子供もいますけれども、午前中はどこかの幼稚園に行って、午後だけちょっと保育園で預かってもらってという場合もあります。
そういうときに、同じ場所がいいのか、別の場所がいいのか、それも含めて、子供の視点から一日の生活をどう組み立てるかということをもうしなければいけない。
 「保育に欠ける」なんというちょっと前時代的な表現はもうやめて、今、ある意味では、日本の子供たち、そういう意味ではすべて保育に欠けているのかもしれません。
地域社会が昔のように育ててくれないわけですから、すべての子供たちが保育に欠けているのかもしれませんから、そうであれば、家庭以外の居場所を必ず提供できるように、この際抜本的な改革をすべきではないかと思いますけれども、いかが思われますでしょうか。

○肥田議員
 今、水島議員のお話を伺っておりまして、私は三十数年前を思い出しておりました。
三人の子供を育てておりますときに、実は両親が同居だったんですね。
ですから、保育に欠けるという要件のために、おじいちゃんとおばあちゃんを、片一方は高血圧でぶっ倒れた、母はもう足腰が悪くて歩けない、そういう作文を書いたことを思い出しておりました。
これがまだ三十数年たって残っていることに私は大変疑問を感じております。
ですから、ぜひこの垣根を外していく努力をしなければいけないと思っております。
 それから、幼保一元化でございますが、これは、先ほど申し上げました子どもの権利条約、それから昨年国連で行われました子ども特総の中でも、やはり子供の最善の利益、また子供にふさわしい社会をつくる、そういう基本理念が世界的に合意されているわけでございますから、これもぜひ子供の側に立った居場所づくりをしたい、そう思っているわけでございますが、野党議員同士でやり合っていてもこれはなかなか実現できませんので、ぜひ省庁の方にしっかりと頑張ってもらってください。
お願いします。

○水島委員
 そのようなことで、きょうは準備よく厚生労働省と文部科学省から政務官のお二人に来ていただいているわけでございますけれども、これは政治家が決断しなければできないことでございます。
文科省、厚労省それぞれの中で幾ら努力してもその垣根というのは払えないものだと思いますので、ぜひそれぞれのお立場から政治的な決断をしていただきたいと思うんですけれども、いかがでしょうか。

○池坊大臣政務官
 京都の古いしきたりの中で二人の子供を育てながら仕事をしてまいりました私にとりましては、今は多少なりともいい時代になったなという思いはございますけれども、それはやはり多少の少の方ではないかと。
私の長女の子供もゼロ歳で保育園に行って、今三歳になりました。
幼稚園に午前中行って、午後からは認可外の保育所に通うという大変忙しい生活をしております。
 これが一元化されたらいいのではないかという思いは、私が政治家になりましたらぜひこれをしたいと思っておりましたが、確かに、これは文部科学省、厚生労働省という役割だけでなくて、例えばきのうは保育所関係者の方が何万人とお集まりになりました、それからまた同時に、同じ日に私立幼稚園の方々も集まっていらっしゃるんですね。
それぞれ、自分たちがやってきた仕事に対する深い自負とか誇りとかがおありになって、省庁だけの問題ではないんだなということにも直面してまいりました。
 御存じだと思いますが、文部科学省の幼稚園というのは、これはやはり小学校に入ります前の、生きる力をつけるための前段階としての学習とか生活の基礎をつくるところでございます。
それからまた、今は、先ほど専業主婦もたくさんの悩みを抱えているんだとおっしゃいました、親と子の育ちの場として、専業主婦の方々の相談にも乗る、あるいはまた、就園しないお子様方を連れて幼稚園にいらっしゃれるようにもする、さまざまな親と子供とが育っていく場の提供というのをいたしております。
 一元化というのは、今、地方自治体ではやっているところがございます。
千代田区のいずみこども園など私も視察に参りましたけれども、あるいは、過疎地で子供の数が少ないから一緒にやろうよというところもあるわけですね。
 今、私は、きっと地方自治体の大きな流れがこの一元化をつくっていくのではないかというふうに思っておりますけれども、施設の共用化の指針などもつくっておりまして、共用して幼稚園と保育所が施設を使っている場合がございます。
あるいは、教育内容、保育内容の整合性の確保。
それからまた、幼稚園教諭それから保育士というのは、資格が違います。
これも一緒になりますように、例えば幼稚園の教諭は七割が保育士の資格を持っております。
それからまた、幼稚園と保育所が同じ研修をするように、あるいはまた、事例集でともに学ぶなどということで今連携を図っているところでございます。
この連携がもっともっと深まったら、それは一元化の方向になっていく流れにはなっていくというふうに思っております。
 やはり保護者の立場それから子供の視点というのが大切だというのは、全く同感でございます。

○森田大臣政務官
 先生、十分おわかりいただいているんじゃないかと思いますけれども、保育所は、親が働いていること等で子育てができない、こういうことで家庭にかわりまして育てている、これが保育所だろうと思いますし、それからまた、幼稚園につきましては、親の希望でもって、教育というほどのことはないと思いますけれども、集団生活になれてもらうとかしつけだとか、こういうところの施設だろうと思います。
 そういうことで、施設の性格、これも、片っ方は児童の福祉の施設であり、片っ方は学校、こういうようなすみ分けになっておるのではないのかなというふうに思います。
また、対象児童も、片っ方はゼロ歳児、片っ方は三歳以上とか、それから、保育の期間も違いますし、そういうことで、両者にはそれぞれ異なったところがあるのではないのかな、このように思っておるわけでございます。
 また、近年働く女性が大変ふえているということは御案内のとおりでございますけれども、そうした多様な時間帯に加えまして、休日も含めまして年間を通じた保育、あるいは、ゼロ歳から二歳児のさらなる受け入れ等、保育所の需要というものが大変増大しておるんだろうと思いますし、また、幼稚園との差異と申しますか、そういったことも拡大している、こういうふうに考えておるわけでございます。
 このような多様化する子育てのニーズに対応するために、地域の子育て資源を効率的に活用することが重要であり、こうした中で、保育所と幼稚園は両施設単一の制度として位置づけるのではなくて、地域の実情を踏まえた相互の連携をより一層強化するといいますか、こういったことが重要になってくるんだろうと思います。
 そういったことで、例えば幼稚園と保育所を合築するとか、同じ敷地内につくるとか、こういうようなことで、もう既に合築なんかも全国には幾つかあるわけでございまして、御承知のとおりだと思いますけれども、そういったことが必要になるのかなと。
そうしたときに、やはり幼稚園と保育所と違うのは、幼稚園は早く帰らなくちゃいけない、四時間ぐらいでもって大体帰りますし、保育所は長いですからね。
こういったことで子供が寂しがる、そういったこと等に対する工夫といいますか、そういったことも必要だろうというふうに思います。
 また、保育所に預けられない主婦でも預けられるという制度等もございますので、そういったことは私は大変結構なことだろうというふうに思っております。
 今、先生、大体すべておわかりの上での御質問だろうと思いますけれども、厚労省としましての答弁とさせていただきたいと思います。

○水島委員
 改めて勉強をさせていただきまして、ありがとうございました。
 要するに、このように、池坊政務官はかなり感情的に踏み込んだ御答弁も下さいましたし、今委員の中からも、幼稚園と保育園の枠を取り払ってということに関しては賛成というような声も上げていただいている、与党席から上げていただいているわけでございますけれども、そのように、大体の人の間で、これは現状はおかしいんじゃないかということはコンセンサスがだんだんと得られてきているんじゃないかと思います。
 私はかねてから、子供省あるいは子供担当大臣というようなものをつくって、縦割りを撤廃して、子供の生活はこうなっているんだということで、厚生労働省、文部科学省にも協力していただけるような、そういう何か強力な、独立した機関が必要なんじゃないかと思っておりますし、国会の中でも発言させていただいておりますけれども、今回この法案をつくられたことをきっかけに、法案提出者の皆様にも、その点ぜひ真剣に考えていただきたいと思います。
場合によっては、この次の議員立法、幼保一元化法案というのでもよろしいかもしれませんし、ぜひ、こうやってチームワークをつくられた以上は、その上でまた子供たちのために引き続き取り組んでいただきたいと思っております。
 時間がもうじきなくなってしまうんですけれども、もう一つ、第十二条で述べていますように、地域において子供と他人が交流できる場をつくるということは、実はとても重要でございます。
 私も、今宇都宮に住んでおりますけれども、地元のお祭りとかおもちつきとか一斉清掃とか、さまざまな行事の中で子供を育てていただいておりますし、また、子供が気軽に遊びに行ける近所の家もありまして、こんなに忙しい仕事をしている割には安定した子育てをさせていただいていると思っております。
 ただ、気になりますのは、地域活動における男女共同参画問題でございます。
 確かに、地域において掃除をしたりと、ある程度の奉仕をするというのは子供の教育上も必要なことではないかと思いますし、我が家もこの四月まで自治会の役員をやっておりまして、自治会費を集めて歩いたりとそれなりに面倒なことをやってきたわけでございます。
大変ではございましたけれども、子供も一緒に連れて歩きまして、子供を育てる環境としては、プラスになったのではないかなと思っております。
ところが、現状では、若い人を中心に自治会離れ、地域活動離れが進んでおります。
私も東京におりましたときにはそんな活動をほとんどしておりませんでしたけれども、やはり地域活動をしたくても、価値観が押しつけられるということに若い人たちは抵抗を感じているのだと思います。
 その最たるものがジェンダーだと思います。
自治会長やPTA会長など地元の顔役は男性ばかりでございます。
また、お祭りなどに行きますと、男女の役割が見事に分かれております。
こんな環境では地域参加の意欲もそがれるのではないかと思いますけれども、第十二条を規定する上で、それらの点は考えられましたでしょうか。

○五島議員
 おっしゃるとおり、家庭においても職域においても、男女が仕事を共同して担っていくという視点は大事でございます。
当然、地域社会の中においてもそれはそうでなければならない。
第十二条は、そういうふうな意図を持ってつくられたものでございます。
 挙げられた事例につきましては、先生のお住まいのところというのは男性にとってはえらく頑張らされているところだなと。
高知は早々と手を上げておりまして、ほとんどそういう役割は女性の方々の仕事になっておりますので、もう今の時代において、必ずしもそれは一般的ではないのではないだろうかというふうに思っております。

○水島委員
 もう時間がなくなりますので、このあたりのことをちょっとまとめてできれば中山太郎会長にお伺いしたいところでございますけれども。
 今、五島さんの、どうも前に聞きましたら五島さんの地元の高知では、自治会の役員とか何かそういうのはほとんど女性がやっていて、男性は居場所がないんだなんというようなことも聞きまして、随分東と西とでは違うんだなと思ったところがございました。
ただ、そうはいっても、多分全国的に見ますと、やはりPTA会長とか、PTAの実際の活動をやっているのは女性の方が圧倒的に多いのに、会長ということになると男性がついたりとか、私の子供の保育園もそうでございます。
また、地域で活動をするときは、必ず女性はお茶くみあるいは裏方、そんなふうになっているようなところがまだまだ多くて……(発言する者あり)全然違うとおっしゃっている方もいらっしゃいますので、またそういう地域もあるのかもしれませんけれども、私がいろいろ政策をつくる上で聞きましたときには、まだまだそういう地域が多いと。
 もう少し自由に、その人らしい形で地域参加ができるようにしていかないと、結局、そういう価値観が嫌だから地域の人と人とのつながりも嫌だということになって、どんどん人々が孤立していくのではないかと思っておりまして、その辺は、既存の価値観から脱却しつつも人間関係のつながりを失わないような工夫が政策上求められているのではないかと思いますけれども、どのようなイメージを持っておられるでしょうか。

○中山(太)議員
 委員御指摘のように、男女共同参画社会というものをどうしてつくり上げていくか、これが原点だろうと思います。
 その中で、私も勉強をこの問題でさせていただいて驚きましたことは、育児休業休暇をとっている比率は、女性が五九%ぐらいで、男性はわずか五%ぐらいですね。
(水島委員「〇・五」と呼ぶ)〇・五。
済みません、間違えました。
訂正させてください。
これを見ただけでも、やはり男性が子育てに直接関与する機会というのは男性自身がみずから非常に避けている、それは、今までの男子中心社会の伝統の中に生きているんだと思います。
そういう意味で、これから、真の男女共同参画社会をつくっていく中で、男性側も十分考えて努力していかなければならない、このように思っております。

○水島委員
 ありがとうございました。
 もっとたくさん通告していたんですけれども、質問できなくて申しわけございませんでした。
また機会を与えていただければうれしいと思いますが、本当にこの子育ての問題というもの、今、真の男女共同参画を目指してというふうに最後に締めくくっていただけまして大変ありがたかったわけでございますけれども、これは、私は、男性にやる気がないというよりは、やはり男性なんだから子育てのために仕事を休むなんて男らしくないとか、男性側も好きこのんでやっているわけではないということも多くございますから、よりよいあり方に関して、男性、女性それぞれの事情を踏まえながら話し合っていかなければいけないと思います。
 また、この法案の中で、今育児休業のことをおっしゃいましたけれども、子供が生まれてから労働時間が短くなるだけではやはり子供を持とうというインセンティブにはなかなかなりませんで、妊娠中のつわりのつらさですとか、あるいはそもそももともとの労働時間が短くなければ、地域がもっと活性化してほかの子を育てるような体制がなかなかつくれない。
もう本当に日曜日寝ているだけであとは会社人間というようなことでは、なかなか地域の子育て力も上がってまいりませんので、ぜひ本当に大きな視野でこの子育ての問題に取り組んでいただきたいと思いますし、冒頭に申しましたように、せめて法案の名称を次世代育成支援基本法というふうに直していただけると私もすっきりと賛成できるような気がいたしますので、その点を改めてお願い申し上げまして、質問を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。








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