国会報告 その165(2003.11.24発行)

水島広子の活動の様子をお伝えするために、毎週1回(月曜日)発行しております




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国会報告(11/19〜)




■特別国会が始まりました



 11月19日、特別国会が召集されました。私も二期目の議員活動をス タートすることになりました。
 前回は「初登院」でマスコミにも注目されましたが、今回は人ごみが一 段落した時間にひっそりと登院手続きを行いました。

 「第四十三回選擧」と刻印された新しい議員バッジをもらいました。議 員バッジをつけたのは10月10日の解散以来です。もちろん前回総選挙 でもらった古いバッジも持ってはいます。
「当選したのにまだつけないの?」などと地元で聞かれたこともありまし たが、当選回数至上主義を排するためにも、私は「2期目の議員」という 気持ちよりも「第43回総選挙で選ばれた議員」という自覚を持って議員 活動をしていきたいと思っています。
選挙というのは、その人のキャリア を評価するのではなく、有権者の民意を反映するものだと思っているから です。

 今回の民主党は異例の躍進で、私と同期の議員で落選した人はごく少数 です。慣れ親しんだ議員と再び顔を合わせて喜び合いました。私に対して は、与野党を超えて、「今回の選挙は残念だったね」と言ってくださる方 が多かったです。
栃木一区の地元の方は、「それでも十万票以上いただい た」ということの重みを理解してくださるのですが、久しぶりに選挙区の 外に出てみるとやはり反応が違うものです。
ちなみに、今回新たに同じ会 派に所属することになった田中真紀子さんからは「もう赤ちゃんは産まな いの?」とにこやかに声をかけていただきました。

 13時からは本会議が開かれ、議長・副議長選挙、議席の指定、会期の 決定、常任委員長選挙などが行われ、最後に内閣総理大臣の指名が行われ ました。
 初当選のときは副議長人事で与野党が決裂しましたが、今回は、「議長 =河野洋平氏(自民党)、副議長=中野寛成氏(民主党)」で双方が合意 していたため、投票はつつがなく行われました。
無効票を除けば、全会一 致で正副議長人事が決まりました。

 私の議席は大幅に変わりました。一期目は最前列からスタートし、二列 目で終わりましたが、今回は一気に議場の中央まで下がりました。これは 今回、民主党で50名を超える新人議員が当選したためです。
自民党では、 二期目でもかなり前のほうですし、私と同じくらいの位置に座っている人 は当選回数を重ねたベテラン議員ばかり。
改めて民主党の若さを感じまし た。その一方で、突如として議席が後ろになって議場を見渡せるようにな ったため、「こうやって自分が偉くなったような錯覚に陥るのかな」とも 思いました。当選回数を重ねるごとに偉そうになっていく議員の存在も理 解できます。
当選回数至上主義の弊害をここでも感じます。

 特別国会の会期は結局9日間ということになりました。
今国会で総理大 臣の所信表明をすべきなので会期を延ばすべきだという我々の主張は結局 受け入れられず、形式的な本会議のほかは予算委員会が開かれるのみとな りました。所信表明をしない理由はいろいろとこじつけられていますが、 イラクの情勢などを考えると、現時点で小泉内閣の所信はまとめられない のだろうと思います。

 本会議の最後に行われた内閣総理大臣の指名選挙は、記名投票で行われ、 菅直人氏が186票、小泉氏が281票、志井氏が9票、無効票が3票と いう結果でした。
民主党が躍進したとはいえ、数にしてみると差は歴然と しています。小泉政権という日本の不幸はまだまだ続くことになりました。




■「国政は子育ての片手間ではできない」ビラに波紋



 今回の選挙で私に対して行われた「誹謗中傷」は事実無根で低レベルの ものが多く、皆様にご報告する価値もないのですが、一つだけここで取り 上げたいものがあります。
 それは、「国政は子育ての片手間ではできない」という怪文書です(選 挙区のほぼ全戸に配布されたようです)。
 相手方の演説では、「水島は子作りばかりしていて仕事をしていない」 などというものもあったと聞いていますが、子育て世代の政治参加を目指 している私としては政治的に看過できない問題なので、あえて取り上げさ せていただきます。

 本当に国政と子育ての両立はできない、あるいはすべきではないのでし ょうか?

 そもそも、この怪文書を書いた人は、政治というものを理解していない と思います。
政治というのは、「労働」というよりも「政策決定の場への 意思の反映」です。立法作業・現地調査など、かなりの労力を伴うものも 実際にありますが、議席を維持することの本質は「議決権の行使」です。
だからこそ、私も産休中の議決権の行使のあり方については、不在者投票 制度、ペアリング制度などを研究してきました(実際に、北欧などでは、 産休・育休中も議決権の行使が認められています)。
国会の最終結論が多 数決によって得られるのは、まさに議決権の重みです。

 国会議員は、兼職などがほとんど無制限に認められていますし、性差別 や定年制もありません。いろいろな立場の人たちが、それぞれの代表者・ 代弁者として国会に参加して、その意見を政策に反映させるというのが立 法府の仕事なのです。

 障害を持つ議員も存在します。障害を持つ人ならではの当事者としての 意見を国政に反映させることは重要です。
 結局は引退されましたが、中曽根康弘氏も「高齢者の代表を切り捨てる のか」と言っていました(中曽根氏が一般の高齢者を代表しているかどう かは疑問ですが)。

 オリンピックの選手なら、少しでも早く走れる人、少しでも長くトレー ニングできる人が必要でしょう。でも、政治というのは、「どれだけ私生 活を犠牲にしたか」を競うものではなく、「どれだけ有効に民意をくみ上 げたか」が本質的な価値です。
ですから、「国政は子育ての片手間ではで きない」ということを書いた人は、政治を誤解しているとしか言いようが ありません。

 「国政は子育ての片手間ではできない」という主張は、働く女性への蔑 視としても地元で問題になっていますし、下野新聞の記事にも取り上げら れましたが、今回、国会に行って、身近な男性議員にも感想を聞いてみま した。
 すると、思ったとおり、子育て中の男性議員は「まるで男の議員が子育 てをしていないみたいで失礼だ」とかなり立腹していました。
 ほとんどの男性国会議員には子どもがいます。当選回数の多い方たちは、 現在は子育てが終了していても、子育ての責任の重い時期と議員活動が重 なっていた経験を持っているものです。
本当に国政と子育てが両立できな いのだとすると、その人たちが議員としてちゃんとやっていないか、ある いは、親としての責任を果たしていない、ということになります。親とし ての責任を果たしていないとすると、それは虐待の一種である「ネグレク ト(育児放棄)」ということになるでしょう。
 確かに失礼な話ですし、少子化や虐待の問題を論じている本拠地である 国会で、あまりにもお粗末な話であると言わざるを得ません。

 私の身近な男性議員の名誉のために言っておきますと、彼らは、夜遅く 家に帰り着いてから、夜泣きをする子どもを妻に代わってあやし続けたり、 夜中のミルクをやったり、「明日は子どもの音楽発表会だから、何とかや りくりしなくちゃ」などと言ったり、と、ごく普通の子育てをがんばって います。
菅直人さんも、お子さんが不登校になったときには、国会にお子 さんを連れてきて自分の働く姿を見せたりしたそうです。
皆、親としての 責任を果たそうと、私と同程度、あるいはそれ以上に努力されているのだ と思います。

 今回の総選挙で、民主党の女性議員も増えました。
これからの選挙で、 今回の私と同じような低レベルの誹謗中傷をされないよう、政治文化の成 熟を心から祈るものです。



■「どぶ板」についての補足



 前回の国会報告に、説明不足な点があったため、数名の方からご指摘を 受けました。
「選挙に勝つためには国会活動はそこそこにした方がいいのか?」という 項目に書いた、


『今回の選挙の結果を「それでも十万票とれたのは国会での実績があったか らだ」と言ってくださる方もいる一方、「これからは議員立法の数も質問 の回数も半分で良いから地元でどぶ板をやってくれ」と言ってくださる方 もいます。』


 という部分です。

 「どぶ板」という言葉の定義をきちんとしなかったため、誤解を招きま した。
 ここで言う「どぶ板」というのは、まさに、一軒でも多くの家を訪問し て、玄関先で、「選挙をお願いします」とやる活動です。

 もちろん、私は、有権者との直接の関わりを重視しています。地元で悩 み事としてうかがった話はできる限り解決するようにしていますし、直ち に委員会の質問に取り上げたこともあります。地元の方とお茶を飲みなが らチラリと耳にした情報に立法のヒントが隠されていることもあります。

 また、自分自身の議員活動の報告も、特に選挙区の有権者の方には直接 行うのが当然だと思っています。こうした活動は、私は「どぶ板」と呼ば ずに「草の根」と呼んでいます。草の根活動であれば、推進すればするほ ど、政治への関心も高めていただけますし、明らかに有権者の声を政治に 反映させることにつながります。

 一方、政治活動抜きにただ「ヨロシク、ヨロシク」とやるのでは、推進 していっても、生活と政治の関連を見出すことができません。有権者はい つまでたっても、「自分たちの生活を向上させるために政治に参加する」 という意識を持つことなく、「この人に頼まれたから、この人のために投 票しよう(票を集めてやろう)」という意識を持ち続けることになると思 います。

 今回の選挙を振り返って、やや驚いたのは、日ごろ、政治活動を報告し てちょくちょく顔をあわせている人でも、「今回の選挙では頼みに来なか った」という理由で私に投票してくれなかった人が少なからずいたという ことです。
もちろん選挙直前にそうした運動が十分にできなかったわが陣 営の不十分さを反省しなければならないのですが、「頼まれたから投票す る」という選挙から「自分の生活の質を向上させたいから投票する」とい う選挙に変えなければ、なかなか日本の政権交代は実現できないだろうと 思います。
 私自身は、二期目も「草の根」活動を続けていきたいと思っています。
ミニ集会などのお誘い、事務所訪問、国会訪問、いずれも大歓迎です。心 よりお待ちしております。



■議員活動一期+解散総選挙を経て思うこと



 選挙が終わって、いろいろな方から「疲れたでしょう」とねぎらってい ただきます。確かに、選挙は疲れますし、私も終盤は声を嗄らして、目も 充血して、すさまじい形相になっていたようです。体重も減りました。
 声も目も、おかげさまですっかり回復しておりますが、今になって考え ると、私にとっては、現役の議員活動の最中の方が選挙運動中よりも疲れ たような気がします。立法活動や国会での質問を人並み以上にこなし、政 治的ないろいろな駆け引きをし、新幹線通勤、地元での活動、子育て、こ れらのことをすべて行うのはかなりエネルギーのいることです。
それに比 べれば、選挙というのは、物理的には大変なことも多いですが、自分の主 張を続け、とにかく前向きに走っていく、というシンプルな活動です。

 選挙を終えて、二期目の議員活動に入り、「また忙しくなるな」という のが私の率直な実感です。
 ところが、多くの(特に与党の)議員を見ていると、選挙で全エネルギ ーを使い果たし、そして、今は疲れを癒しながら次の選挙のことを考えて いる、という感じがします。選挙こそ政治活動の本質で、間の議員生活は 「つなぎ」という感じがするのです。
与党の某議員に当選を祝うメールを 出したという方が私にメールをくださいましたが、「議員としてがんばっ て、と書いたつもりなのに、『次の選挙に向けて気を引き締めて取り組み ます』という返事が来ました。この人の頭には選挙しかないのでしょうか」 と書かれていました。

 私も、メールをくださった方の違和感をとてもよく理解できます。でも、 考えてみれば、今の日本の国会の形骸化を見ると、確かに、選挙こそ政治 なのだと思えないこともありません。
この夏視察してきた北欧のような国 では、国会が言論の府として機能していますので、議員として国会活動を する意義がかなりあります。説得力のあることを主張できれば、国会の結 論を変えることもできます。でも、日本の国会では、いくら議論を深めて も、「確かにそうかもしれない。でも、与党は賛成だから」というふうに、 結論ははじめから見えています。もちろん、修正を勝ち取るために最大限 の努力はしていますが・・・。

 官僚主導で、国会が形骸化している日本では、本当に国会の任期は「つ なぎ」なのかもしれないな、と自虐的に思うこともありますが、こんなお かしな状況を放置して良いわけがありません。
また忙しい議員活動を通し て、政治を変えられるように努力していきたいと思っています。








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