対人関係療法(IPT)とは

対人関係とストレスの関係
重要な他者とは?
対人関係療法とは
対人関係療法の歴史と特徴

対人関係とストレスの関係

 対人関係はストレスのいちばんのもと、といっても過言ではないくらい、私たちは対人関係によって心の状態を左右されています。とくに、身近な対人関係には大きな影響を受けます。実際に、うつ病の女性が治療を受けにやってくる直前の六ヶ月間の出来事としてもっとも多く報告されたのは夫婦間の問題だったというものなど、身近な対人関係と心の病との関係を指摘したデータはいくつも見られます。

 なぜ対人関係が心の健康に大きな影響を与えるのか、ということについてはいろいろと考えられていますが、なかでも、もっとも重要なキーワードは「自尊心」なのではないかと私は考えています。

 自尊心というのは、自分を大切にする気持ちであり、自分の存在を肯定する気持ちです。空気のようにあたりまえの気持ちなので、普通に暮らしているとあまり自覚しないかもしれません。

 でも、ひとたび自尊心に問題を抱えると、「自分なんて生まれてこなければよかった」とか「自分なんて生きていくに値しない人間なのだ」というふうに思ってしまいます。いじけてばかりいると、他人とも素直に関われなくなってしまいます。」また、自分の弱点と折り合いをつけながらうまく生きていこうという前向きな気持ちにもなれず、欠点に振り回されるような生き方にもなってしまうのです。こんなふうに、自尊心の低い人はさまざまな心の問題を抱えやすく、心の病気にもなりやすいですし、薬物や売春に手を出したり、事件に巻き込まれたりしやすいのです。

 それでは、どうすれば「自尊心」を健全に育てられるのでしょうか。

 自尊心がうまく育つためのポイントはいくつかありますが、たとえば、「存在を他人に認めてもらう」とか「努力を他人に評価してもらう」とか「試行錯誤を許してもらう」といったように、そのほとんどが対人関係に基づくものです。

 小さな頃に虐待を受けた人の自尊心は致命的な傷を負ってしまい、きちんとしたサポートを受けなければ大人になっても回復しにくい、ということはよく知られていますが、これも自尊心と対人関係の関連の深さを示すものです。虐待というのは、それ自体が屈辱的なものであるばかりでなく、本人から見ると「こんな扱いを受けるのは、それだけ自分が出来損ないだからなのだろう」というふうに感じられるのです。

 そして、自分の存在がどれだけの人にとって意味のあるものか、自分の気持ちをどれだけ他人に受け入れてもらえるか、自分が困ったときにどれだけの人に助けてもらえるのか、自分の自然な姿を見せても大丈夫な相手がどれほどいるか・・・、といったことに、私たちの心の健康は支えられているのです。

 一方、心の悩みを抱えると、それは対人関係にも影響を与えます。私たちは心が非常に落ち込んでいたり疲れていたりすると、他人に細やかな関心や愛情を向けてあげられなくなるものです。また、他人の何気ない一言を非常にネガティブにとらえがちになります。そして、落ち込んでしまって思うように活動できない人を見て、まわりの人は「怠けているのではないか」「やる気がないのではないか」などという非難の目を向けることも少なくありません。うつ病の人が、まわりの人を落ち込ませたり、不安にさせたりするというデータもあります。

 対人関係はストレスの原因になると同時に、ストレスによってつくられる心の状態が、さらにまた対人関係をゆがめるもとにもなります。この関係は両方向性であると同時に、非常に密接なものなのです。

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重要な他者とは?

対人関係の重要度の順  対人関係が重要だといっても、すべての対人関係が同じように重要なわけではありません。「相手とわかりあうことが心の健康に大切だ」ということをすべての人に当てはめて、通りすがりの相手とも100パーセントわかりあおうなどとしたら、かえって疲れ果てて心の健康を損ねてしまうでしょう。

 社会的な機能としてもっとも理想的なのは、図のように分布する対人関係をもっていることだといわれています。もっとも親密な関係をもっているのが、配偶者・恋人・親・親友など、その人に何かがあったら自分の情緒にもっとも大きな影響を与える相手です。専門的には「重要な他者」と呼ばれます。

 「重要な他者」ほど強くはないけれどもそれなりに親密な関係をもっているのが、友人や親戚などです。そして、そのほかに、職業上の対人関係などがあります。これらの対人関係をバランスよくもっていることが、心の健康を支えると考えられています。

 以前、会社員のメンタルヘルスに関わっている方たちを対象にした講演でこの図を用いて説明したところ、「この図は一面的すぎる。会社員の中には、もっとも親密なところに仕事上の関係者がいるケースもあるはずだ」という意見が出されたことがあります。私は、「そういう状態がすでに不健康なのです。家族と仕事上の関係者が逆転してしまっていることが、精神的なもろさをつくってしまうのです」と説明しました。

 たとえば、同じ会社で同じようにリストラされた男性カゾクさんとシゴトさんの例を紹介しましょう。

カゾクさん。忙しい仕事の中でも、家族との時間を大切にして良好な関係をつくってきた。リストラされたことを妻に話すと、「しばらくは休みながら、一緒にこれからのことを考えていきましょう」と温かく受け入れられた。カゾクさんは、リストラされたことで自分がだめな人間になったような気がしたし、妻も自分に対していらだっているのではないかと思っていた。それを妻に話すと、「仕事がないのはつらいでしょうね。でも、私にとってのあなたは全然変わっていないのよ」といわれたため、気持ちを楽に持つことができた。

シゴトさん。「男は家庭よりも仕事を優先させるべきだ」という考えのもと、妻が病気になったときも接待ゴルフを優先させたし、家にいるときもほとんど家族と交流せずに暮らしてきた。子どもの教育のことなどを相談しても「それはおまえに任せたはずだ」としか言わないシゴトさんに、妻も多くを期待しなくなり、「まあ、お金を運んでくれるから」というくらいの存在として考えるようになった。当然、子どもたちも父親をそんな目で見るようになった。

 そんな家族関係のため、シゴトさんは、リストラされたということを家族に打ち明けることができずに、スーツを着て、カバンを持って、家を出る生活を続けた。ハローワークに行ったあとは公園で時間をつぶす、という状況が続き、そんな自分がますます情けなく思え、やがてうつ病と診断される状態に陥った。

 リストラのように、仕事上の問題が起こったとき、それが原因で心を病むかどうかの分かれ道となるのが、じつは、身近な家族との関係であることが多いのです。家族と何でも相談しあえる関係の人は、案外心を病まないものです。落ち込みはしても、それが病気に発展するほどにはならないことが多いのです。
 一方、日頃から家族との信頼関係をきちんとつくれていない人は、もっとも頼りになるはずの相手を頼ることができず、もっとも心を許せるはずの相手に対して身構えてしまいます。こうなると当然心は病んでいきます。

 リストラされるほどの大問題ではなく、たとえば、職場で上司から批判されたというようなときでも、家族との関係が安定していれば、多少落ち込みはしても、やはり病気にまではなりにくいのです。でも、上司と家族との関係が逆転するような構造を続けている人は、上司からの批判を受け止める心のクッションがありませんから、うつ病になってしまう、ということにもなりかねません。

 もちろん、職場に親友や恋人がいることもありますので、その場合には「重要な他者」が職場にいるということになります。ただ、この場合は、あくまでも「職業上の関係者」としてではなく「親友」「恋人」としてつきあうことになりますので、その関係性はまったく違ってきます。図の位置関係が逆転するということにはなりません。

 それぞれの親密度の対人関係をバランスよくもっていることが心の健康を支えると同時に、親密度の高い対人関係ほど心に与える影響は大きくなりますので、心の健康のためには、親密度が高いほど対人関係を良好に保つよう努力しなければならないということになります。なかでも、もっとも重要なのは「重要な他者」との関係であるといえます。

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対人関係療法とは

本書で取り上げる対人関係療法(IPT: Interpersonal Psychotherapy)は、短期対人関係療法という特別なかたちのものです。精神療法は、一般に、焦点を絞り込めば絞り込むほど短期に効果が上がります。「対人関係に焦点を当てる」といっても、「対人関係なら何でも」というふうに焦点を拡散してしまうと、幼い頃の対人関係や、いろいろな友人との対人関係など、次から次へと話題が出てきてしまい、長期にわたってしまいます。一方、対人関係の中でもテーマを絞り込めば、短期で効果を得て治療を終了させることができるのです。

 対人関係療法は、「重要な他者」との「現在の」関係に焦点を当てて治療するものです。また、単に焦点を当てるのではなく、そこで問題になっていることを四つのテーマのうちの一つに分類し、それぞれの戦略に従って治療をしていく、というふうにある程度マニュアル化されています。治療法がきちんと定義されているので、効果のデータも正確にとることができ、有効性が検証されています。精神療法の中でも、有効性を証明するデータがもっとも多い治療法であるといえます。

 もともとはうつ病の治療法として開発されたものですが、そのあと、摂食障害(拒食症や過食症など)や外傷後ストレス障害(PTSD)など、さまざまん状態に対する治療法として手を加えられてきています。日本以外の国ではよく知られた治療法であり、とくに、開発国のアメリカでは、1995年の消費者ガイドで支持されたことによって一般にもその存在が大きく知られるようになり、アメリカ精神医学界のうつ病の治療ガイドラインでも、有効な治療法として位置づけられています。近年では、グループ療法のスタイルも開発され、電話面接のスタイル、予防法としての活用など、さまざまな可能性が試みられています。

 対人関係療法と同じように、うつ病や摂食障害に対する効果が実証されている精神療法には、ほかに、認知療法(あるいは認知行動療法)があります。認知療法は日本でもかなり知られるようになっており、効果も認められています。主として個人の「もののとらえ方」に焦点を当てる治療法です。ものごとを悲観的にとらえやすい人は、それだけストレスをためこみやすい、というふうに考え、もののとらえ方のクセを見つめていこうとするのが、認知療法です。

 一方、前にも言いましたように、私たちのストレスの原因は対人関係であることが多いものです。とくに日本人はどうしても対人関係の中での自己表現が苦手です。そのために、さまざまな精神的トラブルに陥っていると思われる例に多く出会います。
 対人関係療法は、米国で開発された治療法ですが、私はむしろ日本人にこそ合った治療法ではないかと思って愛用してきました。そして、対人関係療法をきちんと受けると、単に「病気が治る」というだけではなく、その人の生活全般にとてもよい影響を与え、対人関係にも自信がつくケースが多いのです。私はこれまでに、病気の治療法というよりも、人生の治療法とすらいいたくなる例にも出会ってきました。認知療法に比べると、日本ではまだまだ日常臨床の場への普及が足りない対人関係療法ですが、日本人の心の健康に大きな貢献をするはずだと信じています。

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対人関係療法の歴史と特徴

 ここで、対人関係療法が生まれてきた経過を簡単に振り返ってみましょう。

 対人関係療法の原点である対人関係学派は、1930年代から40年代にかけて米国のワシントン-ボルチモア地域を中心に始まりました。その源泉は精神医学者アドルフ・マイヤーにありますが、発展にもっとも大きく貢献したのはハリー・スタック・サリバンです。サリバンは、「精神医学という分野は対人関係という分野である」と記したことで知られていますが、私たちの心の健康が対人関係によって大きく左右されることを認識していたのでしょう。サリバンのあと、フロム-ライヒマン、フロム、ホーナイなどの精神医学者たちが、精神分析的な立場から独自の理論を展開し、新フロイト学派と呼ばれるようになりました。

 これら対人関係学派の原理に基づいて開発されたのが、本書で取り上げる対人関係療法であるわけですが、開発の際に目標とされたのは、新しい精神療法を「つくり出す」ことではなく、理論と経験的根拠に基づいてうつ病への体系的アプローチを「明確にする」ことでした。つまり、「うつ病の原因は対人関係にある」というような仮説に基づいて治療法をつくり出すのではなく、それまでの調査研究からうつ病に関して得られたデータをもとに、どのような治療法がうつ病をもっとも有効に治せるのかを整理するということが目標とされたのです。

 そして、うつ病の発症前後の問題を研究していくと、対人関係の問題を背景にしてうつ病を発症する人が多いこと、そして、うつ病になると身近な対人関係にも歪みが生じることがわかってきました。こうした研究結果から、対人関係に焦点を当てる治療法としてマニュアル化されたということになります。

 ですから、対人関係療法ではうつ病の原因が対人関係にあると断定しているわけではありません。むしろ多元的見地に立っています。つまり、遺伝、早期の人生体験、環境ストレス、パーソナリティが複雑に組み合わさって、うつ病の病因となるという考え方です。また、社会的役割と精神病理との関係は双方向で生じるものと考えます。社会的役割が障害されることが疾病のきっかけになると同時に、疾病によって社会的役割が障害されるということです。このように、対人関係療法では症状と現在の対人関係問題との関連に焦点を当てて治療していくのです。

 ただし、あらゆる対人関係を対象とするわけではありません。対人関係療法では、配偶者・親・恋人など、その人にとってもっとも身近な人(「重要な他者」)との関係を扱います。さらに、それらの重要な他者との関係のうち、「現在の」対人関係を扱うのが大きな特徴です。過去の関係を話し合うのではなく、目前の対人関係問題に焦点を当てるのです。

 対人関係の問題を扱っていると、ついつい「本人の性格の問題だ」「性格を改めなければ問題は解決しない」といった話になりがちです。しかし、対人関係療法では、本人のパーソナリティがどんなもので、対人関係にどのような影響を及ぼしているかを認識しようとはしますが、パーソナリティを変えることを治療目標とはせずに、パーソナリティを理解したうえで本人の対人関係のあり方を考えていこうとします。

  本書では、第二章以降、この対人関係療法をわかりやすく解説していきます。本来は治療者が行う治療法であるわけですが、自分でもできる手軽な対人関係療法をぜひ習得して実践してみてください。「自分は治療など必要ない」という方にとっても、必ず対人関係上のヒントになると思います。

「自分でできる対人関係療法」 (創元社) 第1章より抜粋

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